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2024年4月12日の大崎裕史の今日の一杯

神奈川県横浜市戸塚区戸塚

醤油わんたん麺(1500円)

2014年4月11日に「支那そばや」の創業者・佐野実さんが亡くなった。昨日、2024年4月11日は10年目。『もう10年、まだ10年』そんな思いで「支那そばや」本店に行ってきた。午後1時頃着で、外待ち4番目。ほどなく座れて、頼んだのは醤油わんたん麺。「支那そばや」のこと、「佐野実」さんのことを思い出しながら、ゆっくりいただいた。そこで頭に浮かんだことを整理してみた。
1986年8月6日、藤沢市鵠沼海岸に「支那そばや」開店。開店して2年くらいは苦戦が続いたらしい。私が初めて伺った時はすでに並んでいたので90年前後だと思う。90年代に「臨時休業」で食べられなかったのは、「支那そばや」と「一条流がんこラーメン」くらい。「支那そばや」は『食材探しの旅に出ます』という貼り紙。「がんこ」は、『スープ不出来により』。この頃から私の『臨休振られ癖』が始まった。この2軒がラーメン屋さんの『臨休』を当たり前のようにした。どちらの理由もなんだか期待できるので、「次こそは」と思いながら再訪することになる(笑)。
「支那そばや」は、鵠沼時代は『私語厳禁』『香りの強い人、お断り』だった。だから店内は静か。しかし、私はラーメン屋さんに行ったときの『私の主義』で「おいしかったです!ごちそうさまでした!」と大きな声で言って出てきた。いつも睨まれていたけど、お店にもルールがあるように、マイルールだったので。
佐野さんと話ができるようになったのは、新横浜ラーメン博物館に「支那そばや」が出店してから。少人数で飲みに連れて行っていただいたこともある。「俺が誘って俺の好きな店に連れて来たのに払わせるわけにはいかない」といつもお代を受け取ってもらえなかった。そして毎回言われたのが「身体、大丈夫か?大崎君が病気になったらラーメンのせいにされるから、身体は大事にしろよ。」私の身体を気遣ったのか、ラーメン業界のことを思ってのことなのか、まあ、今となってはどちらでもいいがプライベートでは“鬼”ではなく、心優しい人だった。
奥さんのインタビューに「毎日のように家に誰かを連れて来て・・・」という発言もあるが、私も家に連れて行ってもらったことがある。その時にビックリしたのが全国のラーメン本や情報誌のラーメン特集号をたくさん持っていたこと。当時、私以上に全国のラーメンを食べ歩いていたのだ。その時に聞いたのだが、90年代にラーメン本全国版の店選びを手伝っていた。私も参考にしていた本もあった。確かにその本の最後に「スペシャルサンクス」として佐野さんの名前が入ってた。インターネットが無い時代に全国のラーメン店を食べ歩いていたのだから、スゴい。私が言うのもなんだが相当ラーメンが好きじゃないとできないことだ。(笑)
2000年代前半、まだ日本にAmazonが広まってなかった頃、私は地方に行ってはラーメン本や情報誌のラーメン特集号を買い漁っていた。いつも2冊購入し、一冊は佐野さんにまとめて送っていた。「食べに行けなくても見てるだけでも、読んでるだけでも楽しいんだよ。もちろん、近くに行くときは気になった店に食べに行くけどね。」と喜んでいた。ホントにラーメンが好きなんだと思った。
あれだけラーメンにこだわってる人なので、カップ麺などは食べないだろうし、作ることに興味はないよな〜、と思っていたがひょんなことでカップ麺の監修に引き込んだのも私。意外にも喜んで引き受けて貰えた。
佐野さんがラーメン業界へ残した功績。
身近な物から作るのではなく、全国からいい食材を取り寄せ、それでラーメンを作っていた。「名古屋コーチン」を有名にしたのも佐野さんだし、九条ネギや国産小麦をラーメンに使い始めたのも佐野さん。内モンゴル産のかん水を初めて日本に輸入できるようにしたのも佐野さんの功績。自分のラーメンに旨味調味料は使っていなかったが「無化調」と言ったことは無い。それは醤油などに入っている可能性があるから。(表示法で基準値以下だと表示しなくてもいいルールになっている。)
また水についても「たかが水、されど水」という考えの元、昔はセラミック濾過、2000年頃からは特別な浄水器を使用。
「器(丼)も食材」と器にもただならぬこだわりを見せた。醤油味と塩味では器も変えた。
ラーメン作りに「徹底的なこだわり」を持ち込んだのが佐野さん。だからこそ、ラーメンは進化し、何段階もステージを上がることができた。ラーメンがミシュランに載るようになったのも、元をたどれば、佐野さんがラーメンの価値を上げ続ける努力をしていたからだと言える。常に食材を開拓し、ラーメンに対していろんな革命を起こしてきた。佐野さんが居なかったら、今のラーメンはまだ10年以上遅れていたであろう。お弟子さん達だけでなく、ラーメン業界全体に大きな影響を与えたと言っても過言ではない。
亡くなって10年経つが、その影響の波は静かに拡がり続けていると思う。佐野イズムは永遠である。
佐野さんの名言集。「器も食材」「麺は男、スープは女」「(ラーメンイベントにおいて)数を売るんじゃない、味を売るんだ!」「食べる側のマナー。フレンチレストランでやらないことをラーメン店でやってほしくない!(携帯電話とか本を読みながら食べるとか)」「客への御礼は味で返す」「まずくてもラーメンに罪はない。罪なのは店主の腕だから」

大崎裕史
大崎裕史

(株)ラーメンデータバンク取締役会長。日本ラーメン協会発起人の一人。東京ラーメンフェスタ実行委員長。1959年、ラーメンの地、会津生まれ。広告代理店勤務時代の1995年にラーメン情報サイト「東京のラーメン屋さん」を開設。2005年に株式会社ラーメンデータバンクを設立。2011年に取締役会長に就任。「自称日本一ラーメンを食べた男」(2024年6月末現在約14,000軒、約29,000杯実食)として雑誌やテレビに多数出演。著書に「無敵のラーメン論」(講談社新書)「日本ラーメン秘史」(日本経済新聞出版社)がある。